
愛読していたブログ
「富士丸な日々」の富士丸が急逝してしまった。まだまだそんな年齢でもなかったから、あんまり急な事でびっくりしすぎて、しばらく信じられなかった。
10月1日に亡くなったそうで、報告が先週あってから、もう大ショックでやっと落ちついてきた。’06年からずっと見ていたから、ブログにアクセスすると富士丸がいつもいてというのが当たり前になっていて、もう富士丸がいないんだと思うとたまらなくて、涙涙涙。富士丸の笑顔と飼い主の穴澤さんとの掛け合いが楽しくて、書籍やDVDも持っているしひとりと一匹のファンだった。ブログ上ではお悔やみコメントが現在の時点で3000件越えていて、アクセス数は元々すごかったけれど、あらためてファンの多さにびっくり。多くの人が富士丸の笑顔に癒されていましたって言っていて、自分は犬と暮らしているからそういう感覚より楽しませてもらっていると思っていたけど、思い出してみればこのブログと出会った頃、精神的にしんどい時期だったから実は癒されている部分があったから、はまったのかもと今頃気がついた。ペットブログは星の数ほどあるけれど、多くの人にこういった思いを抱かせるブログは他にないと思う。
私の場合、ラックスの前に飼っていた子は17才で逝って大往生だったから、お別れに対して覚悟できていた部分があったけれど、富士丸はまだ7才でまだこれから...っていう時にほんとに惜しいし、穴澤さんの事も思うとつらすぎる。これから、富士丸のために建てられる予定だった山の家完成まで楽しみにしていたのに。
ペットとしての動物たち(犬猫の場合)の立場での幸福ってどういうことだろう?って私もよく考える時があるけれど、それは広い家に住むことなどを含め、人間の世界での幸福論ではないのかもしれない。犬も猫も同じだと思うけど、一番望んでいるのは飼い主の側に出来るだけ一緒にいることで、順番的にはその次にごはんや散歩がくる。大型犬だからって周囲の環境がよくて広い家に住んだらそれで幸福になるかといったら、それは人間の考え方。動物は人間のように他と比較したりする事はないし、思いの柱は究極にシンプル。だから、富士丸は山の家に住まなくても穴澤さんに深く愛されて、相思相愛で短めだったけれど凝縮された幸せな犬生を送ったのだ。
富士丸にはなんかさようならって言いたくない。
ありがとう。富士丸、またね。